2017年
−写真表現における情報レイヤー階層の研究−
髙橋 秋智[Jsatoゼミ]
聾唖者は視覚では識別できない存在であり、写真は音声のない記録媒体の性質を持つ。
この二つに引力のようなものを感じた私は聾唖者を被写体にすることを決めた。
そして写真における手話はどのようなはたらきをするのかを分析し、
構造主義のロラン・バルトを援用した論考を記した。
彼ら聾唖者たちの存在はプンクトゥム《punctum》として我々に投げかける。
髙橋君との4年間で気づかされたことがある。美大であってもコミュニケーションは音声中心であるという事実だ。視覚情報だけで一体どれだけ理解しあえただろうか。実は同じ問題が写真にも存在する。世界から音を省略して何が伝わるのか。しかし音のない彼には、初めからその懐疑は存在しない。手話はそれを知る努力をしない者には謎であるが、彼らにとっては意思疎通の要路である。その価値のギャップを鋭く突いてくる作品である。(佐藤 淳一)