SPECIAL INTERVIEW

今泉洋が考える、
「デ情」のこれから。

1999年に設立され、20年以上の歴史をもつ武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科。
設立当初から専任教員を務め本年度で退官を迎える今泉洋教授に、その半生を振り返りながらこれからの美術・デザイン教育に求められるものとは何か、話を聞いた。

「脇道」に逸れまくって教員に

今泉先生はデザイン情報学科が設立された1999年当時から専任教員をされていますが、それまでは何をされていたんですか?

学生の頃は建築学科にいたんだけど、在学中からバンドやったり映画撮ったり、「anan」っていう雑誌でライターのアルバイトをやって、その後、NHKのFM番組で構成作家みたいなことをしてた。卒業後は建築と全然関係ない、アスキーっていう出版社の特派員としてアメリカに行っていろんな調査とかやって、日本に帰ってきてからは出版や通信サービス関係の仕事をやりました。今考えると、当時の美大生がやってみたいなと思うことの半分ぐらいはやってたかな。映像も音楽も、出版も放送もやったしネット番組も…テレビはあんまりやらなかったけど、考えたら全部そのころの新しいことばかりだね。

‪29歳まではNHKのFMで音楽番組を作ってて、いろんな企画を書いたんだけど「クロスオーバーイレブン」っていう番組もその一つ。で、僕がデ情に着任して当時の前田常作学長に挨拶に行った時、会った途端に「番組聞いてました」って言われた。リスナーだったんだよ。番組聴きながら絵を描いんじゃないかな(笑)。後で聞いたら佐藤先生(本学科専任教員)も聞いてたって。

‪教員になる直前は「インターネットマガジン」という雑誌のコラムニストをやっていて、そろそろ先が見えたかなっていう時期で…エヴァンジェリストじゃないけど、一番最初に世の中の人に「これ来るよー」っていうのはそろそろいいかなって。そのころは松下(Panasonic)とかCanonとか、企業の研究所でいろんな研究プロジェクトにお邪魔してたんだよね、だいたいメディアの研究。そんな時にたまたまムサビからオファーがあったんだけど、ひょっとしたらこれから学校ってすげー面白いんじゃないかなと思って、それでくることにしたわけ。考えてみるとこれまで、面白いとこにしかいなかったんだよね。で、あとでちょっと話すけど、面白がってる人のとこには面白いものが来るんだよね。「これ、面白いかどうか試してくれませんか?」って。だから多分面白い話としてデ情の教員にならないかっていう話が来たんじゃないかなって思ったわけ、勝手に。

大学の先生になるにはおおまかに2つ方法があって、ひとつはアカデミックな研究活動をずっとやり続けて、つまり大学に入って修士になって研究室で頑張ってドクターまでとってね、そのうち自分の研究室持って教員になるみたいな感じのパターンの人。白石先生(本学科専任教員)なんかはこのパターンですね。もうひとつは、学校はそこそこで世の中に出てから色んな事やったおかげで全然分野とか領域がはっきりしない、でもその経験を買われて教員をやっちゃうっていう人がいるわけですよ。特に美大はね。僕は明らかに後者です(笑)。

情報をデザインする、わけではない

「デザイン情報学科」と聞くと、コンピュータやメディア上でのデザインがイメージされるんですが、実際はどんなことをしている学科なんでしょうか。

それは「情報デザイン」のイメージなんじゃないかな。つまり、情報になってるものをどうかたちにするか。すでに言葉にされているものをどうやって視覚化するか、あるいは立体化するかみたいな部分にウェイトがおかれてるんじゃないかな。でも「デザイン情報学」って、まず世の中をどう区切るかという情報学がベースにあって、その後にデザインがまとめる、みたいな考え方だと思うんだよね。

学科設立前にタマビ(多摩美術大学)に「情報デザイン学科」が出来てたんだけど、ムサビに「デザイン情報学科」をつくるんだって聞いて、なんだろそれって思ったのは覚えてるね。その時に一緒に着任した長澤さん(本学科専任教員、現学長)が、「実はDesign Informatics って言葉がある」と英語のネーミングを持ち出してきた。問題なのはそのデザイン情報学っていうもののポジショニングで…僕のいた「ログイン」とか「インターネットマガジン」、そういうポップカルチャーの側から見てると「デザイン情報学」ってのはなかなか噛み砕けなくて…なんとか全体が見えるようになったのは入ってきてカリキュラムつくっていくうちだよね。僕はどちらかっていうと大学でアカデミックな勉強するよりは外の方ばっか見てたから、学校って何やってんだってことはあまり考えてなかったんだけど、いざ教える側になるとそうはいかない。それで描いたのが「ヒューリスティック・サーキット」っていう図なわけですよ。あれは簡単にいうと美大のなかで学生はどういう風にじたばたして経験を積むかって話なんだけど、それをベースにデザインとかものづくりって何なのかを考えていく。

ヒューリスティック・サーキット

例えばものを作るっていうのは、いろんな要素を自分のコンセプトを核にして組み上げてインパクトのあるものに仕上げる。そうするとそのものの価値がいろんなかたちで発信される。そうしたアピールが、見た人、体験した人のなかである解釈にまとまるわけですよ。人によって違うんだけど、だいたい作った側の思いがあるまとまりになる、と。でその体験とか感じるものが誰か親しい人に伝えるに値するものだと思ったら「これ、すごいよ。ここが新しいよ」って言葉にして他の人に伝えるだろうと思うんだ。こんな具合にミームっていうか文化の遺伝子を作り出すためのきっかけとしてデザインをやるんだ、っていうような考え方をしてもう一個別の図が描けるんだよね。これって「バズ」とか、その表現を社会的な現象まで拡大するため設計図なんだけど、そういうところまでどんどん広げていったら「デザイン情報学」ってもうちょっとうまく拡大できたんじゃないかなって思うんだ。実際に社会はどういう風にインタラクション(相互関係)を進めるんだろうみたいな方法を考えなきゃいけなくなる。ある程度普及が進むと、これをさらに高度にするためにはつくる側も使う側も両方が賢くなんないとレベル上がんないんじゃないの?ってことになる。今は政治も経済も、若干機能不全を起こしてるけど、本当はそのための勉強をする段階なんじゃないかな。

僕がフリーで仕事してた70~80年代はインターネットはまだなくて、似たようなサービスでパソコン通信ってのがあったんだけど、今みたいなビジュアルなんてないし、文字だけのメッセージ交換システムだったんで。そこで僕らは「週刊アスキーネット」みたいなネットのダイジェストを編集した小冊子をつくったわけ。それでいわゆる旧メディアとニューメディアを繋ぐっていうのをやってたんだよね。デザイン情報学科も最初のころは美大の中でもそれに近いような、新しいメディアの意味の翻訳みたいなことをやってた気がする。学科ができてしばらくして、美術大学じゃない普通の工学部系の大学も、これはデザインという見方をしなきゃダメなんだっていうことに気付き始めて、5~6年経ってみると美術大学以外でもデザインが勉強できますっていうのがだんだん揃い始めた時代だったと思うんですよ。もちろんタマビとムサビっていうのはその先を見てたというか、そういう必要性にいち早く気づいて学科を始めてたんだけど、こんなかたちで技術が文化のなかに広がっていく流れを受けながら、いろんなカリキュラムが展開されてきた。それって、キャラクターベースの通信がマルチメディア化していくなかでメディアの役割をさぐっていった時の体験が結構役立ってたんじゃないかなという気がするんですよね。

「ごっこ」を通じて自分を探す

現代では個人単位で様々な情報にアクセスでき、我流で勉強も仕事もしている、という人も増えていると思います。これからの大学、あるいは美大という場所の価値はどこにあるのでしょうか。

美大ってある意味、安全に「ごっこ」ができる場で、これは大きいと思う。例えば授業でブランディングしましょうとかいって、どっかの会社の新しいCI(コーポレートアイデンティティ)の提案とかをやるんだけど。それって何年もかかって、何十億円もかけて築いた会社のアイデンティティを、学生が勝手にさ、いちおう大学生ではあるけど高校生を出て2~3年ぐらいデザインの真似ゴトしたみたいなやつが、勝手に変えようとしてるわけでしょ。もうありえないよねそんなのね、普通に考えれば(笑)。でもそういうことができて、しかも「ごっこ」ではあるんだけどそれをちゃんとプロの視点で真面目に批評してくれる人、先生たちがいるわけだよね。それは大きいと思う。

これはどういう機能なのかというと…どこまではみ出しても許されるのか、ここまでならオッケーだけどこっから先出ちゃだめだよみたいな、しつけみたいなものが世の中出て行くときに必要なんだけど、そういうしつけのチャンスっていうのは実はあんまりないんだよね、残念ながら。繊細さとかちょっと変わってるっていうのが甘やかされて、たまたま絵に逃げ込んで美大に来ちゃった学生が、じゃあちょっと「『ごっこ』なんだけど社会のしつけみたいのもやってみる?』をやられて凹まされてショックで萎えちゃう、という人もいるんだけど。でも基本は自分が次のステップに行くための装置だよね。そこに、自分がデザイナーとして作り続けるための仕組みを考えるための機関としての価値があるのかな。特に日本の高校はそうだと思うんだけど、基本は「黙ってこれ覚えなさい」でしょ。とにかく知識と技能を生徒に詰め込んで、これ覚えとけば大学入れるから、みたいなことをやってるのとは全然違う。美大に入ると「はい、じゃあみんな勝手にやってみよう」って言われて、その気になって勝手にやると「ダメじゃんこれ」って。「お前ちょっとはみ出しすぎ」とか「お前のここがダメ」「こんなんでいけると思ってんのか」みたいなこと言われるわけですよ。その時に「どうしたらいいんだろう」って悩むことが大事なんだよね。もっとうまく自分の我を通すにはどうしたらいいかとか、こんな面白いことがどうしてみんなわかんないんだろうとか。世の中の人が気づいていないことを先回りしながら実現していく、そのためにまずは近場から口説く。そのためには共感してもらう、論理的に説得する、そのための方法論みたいなものを身につける場所としてはすごくいいところだと思います。

簡単に言うと、そんなふうに動けるようになるには、ある意味猶予期間が必要。美大は今もそうかは微妙だけど、学校で充電して社会に出たら放電するだけって考えたくないんだよね。ずっと続くんだと思うんだけど、自分でものを考えて行動するための準備期間。だから高校まではその準備期間のためのストックを身に着ける期間みたいな感じかな。九九が使えないと簡単に計算も出来ないよね。まぁ今なら電卓はあるけどさ。でもそういうベースになる能力を身につけるために高校までがあって、それをじゃあどう使うのか、これから4年とか、院に行ったら6年、その猶予もらって6年後にどんなことをやり始めるかっていうことを自分で選ぶためにその期間って感じかな、美大って。

おもしろい人のところには、おもしろいことが集まる

これからの社会で、美大生に求められる能力はどうなっていくでしょうか。

「なんだかわけのわかんないもの」を取り込む能力って非常に大事だと思うんだよね。「はい、ここに情報があるからなんとかして」じゃなくて、まず何かを見つけて取り込む力。そういう意味で、どこかに寄り道してなんか分かんないことやってる人になるほうが、ずっと真面目に同じとこに居続けたよりも面白いものできるんじゃないかなっていうのがある。これ、自己正当化なんですけどね(笑)。

知ってるものとわけのわかんないものをくっつけてハイブリッド化すると新しいジャンルができるってことなんだけど、その時に中心になる人って「面白がる」ことができる人。何でも良いんだけど面白がれる人はすごく貴重だと思う。面白がることができるってある意味才能だし能力で、面白がる人のところには、「なんかわけが分かんないものが手に入ったから、ちょっとあいつに見せてみようか」って面白い、新しいことがどんどんやってくるわけ。僕もそれをやってたんじゃないかなっていう気がする。ミーハーなんだよね簡単に言うと。それをどんどん取り込んで、ボジティブな言葉に変えていく。

そういう時に必要なのが、細かくいうとセンスとビジョンとコラボレーション、これが鍛えた方がいい3つの要素。センスっていうのは、人が気がつかない事に気づく、ボーッとしてるだけじゃなくて突然変なのものに気がついちゃう能力だよね。ビジョンっていうのはその気づいたものを、こんなのあったらいいんじゃないのって感じで夢を描く力。みんなの目標になりそうな、「こっちがいいんじゃない」って指し示す能力。で最後にコラボレーションっていうのは実際にものをつくる時に、いろんな能力を持った人を、あるビジョンに向けての集約するっていうか、彼らのベクトルを束ねて同じ方向に向ける能力。

例えば、映画っていうのは観るのもいいけど、撮ってるほうが絶対面白いんだよ。僕は横で見てただけなんだけど、なんどか映画の現場に行ったことがあって、もうすごく面白い。みんながプロフェッショナルだし、監督が描いたビジョンをコラボしながらスクリーンの中につくるわけだよね。あれ見てたら、結果はどうあれ観る側より、撮る側の方が絶対楽しいなと思って。

このセンスとビジョンとコラボレーションっていうのを鍛えるために美術大学っていう場があるのかなって思う。どうやったらそれが鍛えられるだろうかってのがヒューリスティック・サーキットみたいなことなると思う。どんな人が向いてるか、どんな勉強すればいいかってやっぱり好奇心もつことでしょうね。それから脱線すること。子供の時に何か発見をしたことがあるとか結構大事です。日常見かけるもの、転がってるものをひっくり返してみたら宝物が隠れてたみたいな。多分それを見つけたことがある人って、その後も「なにか見つかるんじゃないか」って思って世の中見るから、何も見つけたことがない人よりは見つける確率が高くなると思う。別にそれが人類の大発見とかじゃなくてもいいんだよね。後から聞いたらみんなが知ってることだったり、本に書いてあったことでもいいんだけど。自分でそれを見つけたっていうことがある人はすごく才能があると思うので、ぜひそういう人にはぜひデ情に入って、センスとビジョンとコラボレーションの能力を磨いてほしいと思います。

今までの感じだと、1年生の方がそういう可能性は高いね。最初は美大って場所に慣れてなくて、「こんな考え方するんだ」っていう感動をみんな持ち続けてると思うんだよね。だから感想とか書かせても面白いんだよ。逆に言うと僕が授業をしても「え? こんな受け取り方するんだ」みたいな発見があるわけ。これは大学で教員やってて最高に面白いことだと思う。他の大学出てないし他の大学で教えてもいないけど、でも少なくとも美大に入ってくる1年生はすごく面白い。問題なのは2、3、4年になるうちにだんだんつまんなくなっちゃうやつが多いわけね(笑)。4年になった時、ちゃんと1年の時の新鮮な感度を持ちながら4年生のスキルをもって面白い卒制を仕上げられる人がどれくらいいるかって言うと、そんなに多くない。これは僕らの責任もあるし難しいんだけど、そこはいろんな考えなきゃいけないことがたくさんあると思うんで。

どちらかっていうと美大生って感覚重視、感覚の方が鋭敏でいろいろヘビーな体験をしてる。で大学に入って勉強し始めると知識がぐちゃぐちゃに頭の中に詰め込まれちゃって、どういう風に扱っていいんだか分かんなくなっちゃう。これは大変だね。僕はシンプルに図を描きなよって言ってるんだけど、図を描くってのは客観視するってことだから。もう一個大事なのがキャッチコピーを書くこと。キャッチコピーとかネーミングは思い切ってまとめること。どちらかというとエモーショナルな、共感を呼ぶような仕掛けなんだけど、キャッチーなコピーで共感させて、もう一方で図的な能力でロジック、論理みたいなものをセットにして納得させる。こういう能力ってのが何をやるにも必要だし、それを美大で、できればデ情で身につけてもらいたいなって僕は思ってます。

今泉洋 いまいずみひろし

1951年生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒業。卒業後はアスキー社で雑誌創刊、情報サービス企画などを行う。退社後は情報関連分野のコンサルタントとして活躍。

協力:白石学(デザイン情報学科主任教授)

聞き手:大井直人(同助教)